当社は、インバウンド・アウトバウンド領域におけるマーケティング支援に注力しており、調査・分析を担う「インバウンド消費行動研究室」と、広告主企業のマーケティング支援を担う「インバウンド事業本部」の2つの専門組織を有しています。
本連載では、両組織が蓄積してきた調査研究・マーケティングの知見をもとに、各国の旅行者の行動や価値観、最新のマーケティングトレンドを読み解きます。
第5回は、2026年4月にインバウンド消費行動研究室が実施した、広島・尾道でのフィールド調査を取り上げます。調査メンバーが実際に現地を訪れ、21名の訪日観光客への対面インタビューや現地スタッフへのヒアリングを実施しました。
欧米豪からの旅行者が多く訪れる広島、しまなみ海道の玄関口としてにぎわう尾道、世界遺産を有する宮島。現地調査からは、それぞれの地域が選ばれる理由に加え、旅前と旅中における情報収集行動の違いや、現地での体験が新たな消費を生み出す様子が見えてきました。
本記事では、データだけでは捉えにくい訪日観光客のリアルな行動をもとに、地方誘客やインバウンドマーケティングを考えるうえでのヒントを解説します。
株式会社サイバーエージェント インバウンド事業本部
マネージャー
太田 有里佳
中華圏(主に中国・台湾)担当のマネージャーとして、日本の広告主企業に向けたインバウンド・アウトバウンドマーケティングの推進を担当。小学生時代の5年間を台湾・台北で過ごす。2022年にサイバーエージェントへ入社後、台湾支店にて2年間、日系クライアントのアカウントプランナーとして従事。帰国後、インバウンド事業本部に参画し、マネージャーを務める。
欧米豪の訪日観光客が集まる広島・尾道の現在地
―今回、フィールド調査の対象として広島・尾道を選んだ理由を教えてください。
太田:大きく3つの理由があります。
1つ目は、広島県を訪れる訪日観光客が大きく増加していることです。2024年の訪日観光客数は過去最多となる421.5万人で、コロナ禍前の2019年の276万人を大きく上回りました(※1)。観光地として存在感が高まるなか、実際にどのような人が訪れ、どのように地域を楽しんでいるのかを確かめたいと考えました。
2つ目は、訪日観光客の国籍構成です。全国では韓国・中国・台湾からの旅行者が上位を占めていますが、広島はアメリカ・オーストラリア・フランス・イギリスなど、欧米豪からの来訪者が多いという特徴があります(※1)。ほかの地域とは異なる旅行者層が集まる場所として、非常に興味深いエリアです。
3つ目は、観光客の増加に伴う現地の受け入れ環境の変化です。宮島では2023年に訪問税が導入され、広島県でも宿泊税の導入に向けた動きが進むなど、持続可能な観光についての議論が活発になっています。観光客数などの数値を見るだけでなく、混雑や移動、現地での過ごし方も含めて実態を把握したいと考えました。
―欧米豪からの旅行者が多い点は、ほかの地域とは異なる特徴ですね。広島や尾道は、訪日リピーターが選ぶ地域なのでしょうか?
太田:リピーターだけでなく、初めて日本を訪れた方も少なくありませんでした。
欧米からの旅行者は、初訪日であっても10日から2週間程度滞在し、東京や大阪だけでなく、複数の地域を周遊するケースが多くあります。そのため、「初めての日本旅行だから東京・京都・大阪のゴールデンルートだけ」というわけではなく、ゴールデンルートに広島を組み合わせる旅程も見られます。
今回の調査でも、初訪日の方と複数回日本を訪れている方の両方がいました。広島・尾道は、必ずしもリピーターだけに選ばれる場所ではなく、長期滞在をする欧米旅行者にとっては、初めての日本旅行から選択肢に入る地域だと感じました。
しまなみ海道と尾道の街並みが生む「スロートラベル」
―実際に尾道を訪れて、特に印象に残った光景はありますか?
太田:そうですね、尾道駅周辺のレンタサイクルショップに、欧米を中心とした旅行者が次々と訪れていたことです。
尾道と愛媛県今治市を結ぶ「しまなみ海道」は、CNNで「世界最高のサイクリングルート」として紹介されたことをきっかけに欧米圏での認知が高まりました。さらに、電動アシスト自転車のレンタルが普及したことで、かつてはサイクリング上級者向けと捉えられていたルートを、一般の旅行者も楽しみやすくなっています。
現地スタッフへのヒアリングでも、ポーランド、オランダ、ドイツ、アメリカ、台湾など、さまざまな国・地域から旅行者が訪れているという話がありました。インタビューに応じてくれたドイツ人旅行者からは、「YouTubeでしまなみ海道のサイクリング動画を見て、訪れることを決めた」という声も聞かれました。
―サイクリングを目的に世界各国、特に欧米からの旅行者が集まる場所になっているのですね。
太田:欧米では自転車が日常に身近な文化であることに加えて、欧米圏で広がる「スロートラベル」の考え方とも相性が良いのだと思います。
スロートラベルとは多くの観光地を短時間で巡るのではなく、1つの地域に滞在しながら、その土地の自然や文化、日常をゆっくりと味わう旅行スタイルです。
今回の調査でも普段からサイクリングをしている方だけでなく、「瀬戸内海の景色を見ながら、自分のペースで過ごしたかった」と話す方がいました。目的地へ効率的に移動するための手段ではなく、移動そのものを旅の体験として楽しんでいる点が特徴的でした。
―しまなみ海道以外でも訪日観光客が訪れている場所はありましたか?
太田:千光寺公園や千光寺山ロープウェイ、猫の細道といった尾道の代表的なスポットにも、多くの訪日観光客が訪れていました。
調査時期が桜の満開時期と重なったこともあり、千光寺公園では、さまざまな国・地域から来た訪日観光客が景色や桜を楽しんでいました。都市部の著名な桜の名所だけでなく、混雑を避けながら、その地域ならではの景観を楽しめる場所を探す動きが広がっているように思います。
尾道の商店街に並ぶレトロなカフェや路地、海と山が近接する街並みも、訪日観光客にとって魅力的に映っていました。調査に同行した中国人調査員からは、「この店をRED(小紅書)(※)に投稿したら反響がありそう」という声もありました。
有名な観光施設だけでなく、街の雰囲気や人々の暮らしが感じられる景観そのものが、SNSを通じて発見される観光地になっていると感じます。
※中国の若年層を中心に利用されているライフスタイルプラットフォーム。SNS・口コミメディア・ECの機能を兼ね備えており、旅行先や飲食店、コスメ、ファッションなど、さまざまな情報を検索し、購買や予約につなげられることが特徴。
―同じ広島県内でも、広島市と尾道では、旅行者が感じる魅力に違いがありそうですね。
太田:広島市は、原爆ドームや広島平和記念資料館を訪れ、平和や歴史について学ぶ場所として捉えられています。学校の授業などで学んだ歴史を自分の目で確かめたいという意識を持って訪れる方も多く、学びを目的とした旅行者が集まりやすい地域です。
一方、尾道は、海・山・緑・坂道・住宅が一つの景色の中に共存しています。大都市とは異なる日本らしい風景や暮らしが凝縮された場所として評価されている印象があります。
同じ広島県内でも、広島市は“歴史や平和を学ぶ場所”、尾道は“自然と日常をゆっくり味わう場所”と、異なる目的で選ばれている点が興味深いと感じました。
旅前はSNS、旅中はGoogleマップ 国・地域で異なる情報収集行動
―訪日観光客は地域の魅力をどのように見つけているのでしょうか?
太田:情報収集に使うプラットフォームは、国や地域によって大きく異なります。
欧米圏では、InstagramやYouTubeなどが主な接点になります。しかし、アジア圏と比較すると、特定の旅行系インフルエンサーだけを参考にするというより、一般の旅行者が投稿したVlogやショート動画も幅広く見ています。
英語圏の場合は投稿者の出身国を問わず、英語で発信されているコンテンツを横断的に見る方が多い点も特徴です。イギリスの旅行者がアメリカの投稿者の動画を見たり、その逆が起きたりするため、国境を越えてコンテンツが流通します。
一方、中国ではREDが重要な情報源です。そのため、同じ日本の地域をプロモーションする場合でも、欧米に向けてYouTubeやInstagramで発信するのか、中国に向けてREDで発信するのかによって、適切な見せ方は変わります。
―来日前だけでなく、旅行中にも積極的に情報を探しているのでしょうか?
太田:はい。旅前の情報収集に加えて、現地に到着してから行き先を決める旅行者も多く見られました。
欧米からの旅行者は、Googleマップのレビューを参考に周辺の飲食店やローカルなお店を探す傾向があります。調査メンバーが尾道ラーメンのお店を訪れた際に隣に座っていた欧米人のカップルも、Googleマップで店を見つけて来店したと話していました。
旅行前に認知されていなかった店舗でも、営業時間や場所、メニュー、レビューなどの情報が整っていると、旅中の検索から来店につながる可能性があります。インバウンド施策では、旅行前に“行きたい”という気持ちをつくるだけでなく、旅行中の“今からどこへ行くか”という意思決定を支える情報設計も重要です。
一方で、検索して店を見つけられても、予約方法が電話に限られているため、利用を諦めるケースもあります。特に訪日リピーターのなかには、日本人が普段利用しているローカルなお店に行きたいというニーズがありますが、日本の電話番号を持っておらず、予約できないことがあります。
「見つけられる状態」だけでなく、「予約し、実際に利用できる状態」まで整っているかが、今後より重要になると考えています。
宮島にみる、「その場で買いたくなる」体験設計
―現地での消費行動について教えてください。
太田:宮島では、旅行者に来てもらうだけでなく、「その場で買いたくなる」仕掛けが随所にありました。
印象的だったのがお箸に名前を無料で彫刻するサービスです。注文から数分で名前を刻んでもらえるため、限られた滞在時間の中でも利用しやすく、自分だけの一点ものを持ち帰ることができます。しゃもじ型のストラップにその場で名前を書き入れてもらえる店舗もありました。既製品のお土産を購入するだけではなく、商品が「自分の旅行の思い出」に変わる体験が、購買を後押ししていると考えます。
また、あるドリンクショップでは、追加料金で飲み物をおかわりできるリフィル制度が導入されていました。欧米では比較的馴染みのある仕組みであり、旅行者にとって利用方法が分かりやすいだけでなく、「自分たちの文化や習慣を理解してくれている」という安心感にもつながります。
―日本文化を感じられる商品や体験もあるのでしょうか?
太田:厳島神社の御朱印受付には長い列ができており、国籍を問わず多くの訪日観光客が並んでいました。
御朱印は、その場所を実際に訪れた人だけが手に入れられるものです。商品そのものだけでなく、“ここを訪れた証”としての希少性が、旅行者の行動を生んでいるのだと思います。
宮島には、キャラクターをデザインした御朱印帳や、帰国後も日本文化を楽しめる抹茶のセットなど、日本文化とポップカルチャーを組み合わせた商品もあります。伝統文化をそのまま提示するだけでなく、旅行者が親しみやすい入り口を設けることも、購買につながる工夫の一つです。
―こうした事例から、企業の商品・サービス設計に生かせるポイントを教えてください。
太田:現在は、日本の商品も海外の店舗やECを通じて手に入れやすくなっています。欲しい商品を買うだけであれば必ずしも日本まで来る必要はありません。
だからこそ、「その場所でしか手に入らない」「実際に訪れたからこそ体験できる」という価値が、以前よりも重要になっています。
今回の調査からも、訪日観光客が何を買うかは、旅行前からすべて決まっているわけではなく、現地で商品に触れたり、カスタマイズを体験したりするなかで、新たな購買が生まれていることが分かりました。
訪日前のプロモーションによって来訪を促すことに加え、現地でどのような商品と出会い、どのような体験を経て購入するのかまで設計する。来訪前の情報発信と、来訪後の体験設計を一体で考えることが重要です。
混雑・移動・予約――現地で見えた受け入れ環境の課題
―旅行中の不便や受け入れ環境の課題としては、どのような声がありましたか
太田:目立っていたのは、言語よりも混雑や移動に関する課題です。
宮島と広島市内を結ぶ交通機関やフェリー乗り場では、時間帯によって非常に混雑していました。トイレなどの施設にも列ができており、特に高齢の旅行者にとっては負担になっている様子が見られました。
一方、言語については、想像していたほど困っている方は多くありませんでした。翻訳アプリなどを利用しながら、自分で情報を確認できる環境が整ってきたことが背景にあると思います。
もちろん、多言語での案内は引き続き大切です。しかし、これからの受け入れ環境を考える際は、翻訳だけではなく混雑を避けられる導線など旅行者が快適に過ごせる設計にも目を向ける必要があります。
―最後に、今回のフィールド調査を通じて得た最も大きな気づきを教えてください。
太田:最も強く感じたのは、現地に行って旅行者や事業者の声を聞くことの重要性です。
東京などの都市部で見られる訪日観光客の行動と、広島や尾道を訪れる方の行動は大きく異なります。東京では買い物を主な目的とする方も多い一方、広島では「歴史や平和について学びたい」、尾道では「自然の中でゆっくり過ごしたい」といったニーズが見られました。
また、受け入れ側が重要だと考えていることと、旅行者が実際に求めていることが異なる場合もあります。言語対応を最優先に考えていても、現地で話を聞くと、混雑や予約方法、休憩環境、好みに合うお土産など、別の課題が見えてきます。
インバウンドを一つの大きな市場として捉えるのではなく、「どの国・地域の人が、どの地域を、何のために訪れているのか」を具体的に理解することが重要です。
※1 一般社団法人広島県観光連盟(HIT)「令和6〔2024〕年広島県観光客数の動向」https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/637604.pdf